Reread Cybernetics サイバネティクス再読

 

 

The Macy conference series (ten meetings between 1946-1953) was organized to understand the feedback mechanisms in biological, technological and social systems, by the aid of concepts like circular causality and self-regulations. McCulloch served as the chairman of the conferences, which had a strong interdisciplinary character. While mathematicians/physicists and psychologists dominated the conferences, Wiener and von Neumann in particular made claims that their theories and models would be of utility in economics and political science, too. Margaret Mead (1901-1978) and Gregory Bateson (1904-1980) contributed very much to develop the humanistic aspects of cybernetical thinking (Bateson 1972).

 

 

読書会♯1 『サイバネティクス 第二版』”Cybernetics (2nd edition)”

sharisharishariの活動に関係する本を選ぶ。まずは古典からということで最初に読む本はノバート•ウィーナーの『サイバネティクス 第二版』にした。全部で10章あるので、毎週1~2章ずつ読んで原著を二ヶ月弱で読み終えた。担当者を決めて毎週1人~2人がレジュメをつくり、それをもとに関係するトピックや別の本に脱線したりする形式である。以下は、各回のレジュメ(PDF形式)と、山本浩貴による読後の後記である。読書会第二シーズンは2013年1月から開始予定。

Chapter 1 Y.Komiyama

Chapter 2 I.Wako/T.Ishii

Chapter 3 M.Izawa/K.Yoshida

Chapter 4 R.Maruyama

Chapter 5 Midori.O/H.Yamamoto

Chapter 6 S.Ichikawa/H.Yamamoto

Chapter 7 M.Shinohara/M.Kubota

Chapter 8 T.Matsuo/R.Maruyama

Chapter 9 H.Takeyama/Y.Komiyama

Chapter 10 H.Oya/D.Winkler

 

 

サイバネティクス読書会後記  by HIROKI YAMAMOTO

 

「小笠原さんは、『みんなと仲良くなるために、サークルやってるんじゃない。楽器が好きだから』って言うくせに、なんで自分のポジションのことはしつこく言うの?居場所についてぐちぐち言うの?」

遠藤さんは言う。

もっともだな、と小笠原は省みた。

本当の芸術家は、こんなことを考えないはずだ。椅子取りゲームをしたり、他人を使って音楽に近づこうとしたり、人から慕われようとしたりはしないに違いなかった。

(山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』)

 

ノーバート・ウィーナーの『サイバネティクス』は建築における必読文献であり、古典であるらしい。美術でいうところのマイケル・フリード『客体と客体性』とかクレメント・グリーンバーク『アバンギャルドとキッチュ』あたりになるのか。いずれにせよ、上記2つは美術批評であり、『サイバネティクス』は(純粋な建築理論ではなく)あえていうなら情報工学の理論にあたることを考えても、建築という分野の学際性をうらやましいなぁとか思ったりする(ちなみに僕は読んだことないのだけど、ギブソンのアフォーダンス理論とかも「常識」にあたるらしいですね、いいなぁ…)。

 

先に、『サイバネティクス』によって切り開かれた地平が現在どのようになっているかというと(主に社会科学での話しになりますが)、ウィーナーの考えていた意味でのフィードバック、すなわち、制御による、統合へと収束していくようなフィードバックは現在では「ネガティブ・フィードバック」と呼ばれ、それじゃ「ポジティブ・フィードバック」もあるのかといったらやっぱりあって、それは(秩序に対して)混沌、あるいは多様性へと向かっていくようなフィードバックと定義されます。前者を(社会学者である丸山孫郎の言葉を借りれば)「ファースト・サイバネティクス」、後者を「セカンド・サイバネティクス」と呼ぶこともあるようです。現代科学では、後者が重視されており、プリゴジンの散逸構造論(『混沌からの秩序』あたりで展開しているような)やルーマンの社会システム論(ここにおいてついに人間は心的システムとして他のシステムと並列に論じられるのですが、割愛。ちなみにルーマンによると人間はコミュニケーションの主体ではないということになり、コミュニケーションそれ自体が連鎖的にコミュニケートしていく、ということになるのですが、割愛。ちなみにちなみに心的システムのみがコミュニケーションを誘発できるという点で他のシステムより特殊な位置付けをされているのですが、割愛。)などがこの系譜にあたるようです。それゆえに、いまやウィーナーは時代遅れのおじさんでしかないのですが、一時的ではあれ、あらゆるアカデミックの領域がウィーナーひいてはサイバネティクスの乗り越えを画策してきたのであることを考えると、「乗り越える側」の末席にいるものとしては、最低限きちんとと勉強しておきたいよね、となるわけです。現代哲学をやるならフロイト(無意識の発見)、マルクス(支配階級の思想が時代の支配思想となる)、ニーチェ(系譜学のはしりとしての)は最低限知ってないといけないし、いま考えるとアホかって思うけど、デカルトの功績は半端ないよね、ということです。いまや、予備校の国語でさえ近代のはじまりはルネサンス=人間中心主義とかって勉強するから、高校生にまで「デカルトはアホ、理性中心主義ひいては自然破壊の元凶」とか(それこそアホ、あるいはいいがかりみたいなこと)言われたりしてかわいそうだなと思うのですが(僕も高校生3年生のとき言ってましたし)、物質の属性は「延長」すなわち空間にあるってだれが思いつくのでしょうか。ちなみにポーランドの社会学者ジークムント・バウマンが、デカルトの「我思う、故に我あり」はニアーイコールで「我空間を占有す、故に我あり」と同じだと言っていましたが、正しいですね、さすが。

 

ハンガリーの社会学者、カール・マンハイムは知識の存在拘束性を理論化し、知識社会学の創始者とされていますが(wikipedia的な意味で、てか、いまwiki見ましたすみません)、僕が彼から学んだことはふたつあって、ひとつは「みずからの立場つねに歴史や存在に拘束されており、つねに盲点をもっている」、つまり「他人の言うことを受け入れる勇気」(彼の提唱する「自由に浮動するインテリゲンツィア」はかなりユートピア的だし、彼のインテリへの信頼は異常だとも思うけど… 29年に主著『イデオロギーとユートピア』を書いた彼は、wiki先生曰く、47年に死んだらしいですが、世界大戦2回目はめっちゃへこんだだろうな、インテリと理性の敗北)。ごくごく簡単に自分なりに解釈すると、「自分のこと客観的に見えてますか?」ということです。ベルナール・スティグレールはこう言っております。個になるとは、存在するすなわち自己の外に出るex-sistereことであり、…個体化という同じプロセスに存在するものや人たちの必然性と収束を実感するということであると。で、ふたつめは「知識はいろいろな人の関わりによってややギザギザに進んでいく」こと。いずれにせよ、彼から学んだ数少ないことのひとつが「他者の意見を受け入れることの大切さ」になるわけです。そういう意味では、シャリで意見交換しながら『サイバネティクス』を読んでいけたことはたいへん有意義なことであるし、これからも継続していけたらいいなと思っています。社長は流れ的にはマトゥラーナ&ヴァレラの「オートポーエーシス」あたりをご希望のようです。このへんはちょうど2ヶ月前くらいに読んだので、簡単にレジュメから重要な点を書き起してみると…

 

H. R.マトゥラーナ/F. J. ヴァレラ『オートポイエーシス 生命システムとはなにか』(河本英夫訳)より

a オートポイエティック・マシン

定義:構成素が構成素を産出するという産出(変形および破壊)過程のネットワークとして、有機的に構成(単位体として規定)された機械

特徴:(ⅰ)変換と相互作用をつうじて、自己を産出するプロセス(関係)のネットワークを、絶えず再生産し実現する、(ⅱ)ネットワーク(機械)を空間に具体的な単位体として構成し、またその空間内において構成素は、ネットワークが実現する位相的領域を特定することによってみずからが存在する。

「オートポイエーシス・システムは漸進的プロセスではない。システムはオートポイエティックであるかないかのどちらかである。」(P94)

「どのようなものであれシステムの確立には、システムを構成する構成素の存在が不可欠であり、システムの成立はそれらがどのような相互作用をしているかに依存する。適当な構成素と適当な相互作用の連鎖があたえられればシステムは実現する。」(P96)

「二つ以上の単位体の行為において、ある単位体の行為が相互に他の単位体の行為の関数であるような領域がある場合、単位体はその領域で連結して(カップリング)いると言ってよい。カップリングは、相互作用する単位体が、同一性を失うことなく、相互作用の過程でこうむる相互の変容の結果として生じる。」(P117)

 

とこんな感じです。オートポイエーシスの思想は、一時期のサイバネティクスと同様に、あらゆる分野で受容されたある意味では画期的な理論ですので、読んでおくことはとても役に立つように思われます。というよりも、本来のフィールドである生物学ではワトソンとクリックによるDNAの発見以来、分子生物学あるいは要素還元主義との競争に負けた感がムンムンですが、その他の分野、特に社会学(システム理論)や経済学(環境経済学、ただこれもシステムと「環境」の二元論で物事を考えるルーマン流のシステム理論の影響が大きいようですが)でひろく受容されました。



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